
1970年の創業以来、「パブリック・リレーションズ」を追求し続けてきた井之上PR。90年代に世界経済に影響を与えた案件への関与を経て、創業者である井之上喬は、井之上PRが現在も重視している「倫理観」、「双方向コミュニケーション」、「自己修正」という3つのキーワードにたどり着きました。そして、それらは次世代へと受け継がれようとしています――。
写真は、1997年のIPRA(国際PT協会)ゴールデン・ワールド・アワード受賞式。審査委員長、IPRA会長と共に高原須美子駐フィンランド大使、棚橋祐治元通産次官も駆けつけてくれた(写真右から4人目が井之上)。
これは、米国大手自動車部品メーカー、テネコオートモティブのために国内市場で実施した自動車補修部品市場における当社の「規制緩和プログラム」が市場開放と新たなビジネス機会の創出に貢献したとして「グランプリ」に輝いたものです。この受賞は日本だけでなく、アジア初の快挙となるものでした。
井之上PRヒストリーの最終編となる第3作は、下記4つのトピックで構成されています。
- パブリック・リレーションズの普及を阻む、日本の「阿吽の呼吸」
- イチ企業のPR戦略を超え、国家間の経済摩擦解消に貢献
- 私益よりも公益を優先――「自己修正」の重要性を実感した瞬間
- 半世紀の時を経て、次世代を担う人材にバトンを受け継いでいく
1970年の創業以来、約半世紀にわたってパブリックリレーションズ(PR)の知見を積み重ねてきた井之上PR。2016年に会長(CEO兼務)に就任し、現場の一線から退いた今、その膨大な知見は井之上を通して次世代に受け継がれようとしています。
次の文章は、井之上が2015年3月、早稲田大学での最終講義で受講生に贈ったメッセージです。
<次世代のリーダーたちへ>
あなた方、一人ひとりが
パブリック・リレーションズを実践することで
日本を、そして世界を変えることができます。
不透明さが拡がるこの世界を
平和で希望のある
社会に変えるのは、
あなた自身であり
パブリック・リレーションズの力だと
私は信じています。
2015年3月14日 井之上喬
本記事は、
https://www.pr-table.com/inouepr/stories/641 からご覧いただけます。